こうして記事を書いていると、言葉に詰まることや、アイデアが浮かばないことが多々ある。
集中しようとしているはずなのに、考えれば考えるほどモヤのようなものがかかり、時間だけ過ぎていく感覚は本当にもどかしい。
先日、AIと対話している際に出てきた言葉
「マイクロサッカード」
この現象が、自宅でのもどかしさと酷似していたので、今回はそれを観測してみた。
無意識に揺らし続けている
目が一点を見ている時に無意識に起こる、超微細な動きのことを
「マイクロサッカード」
という。
この動きの大きな役割として、
視覚の消失を防ぐ
というものがある。
このマイクロサッカードが仮に止まった場合、脳は
「変化なし=重要ではない」
と判断し、見えなくなるらしい。
ここでの”見えなくなる”というのは
暗転
ではなく
ボヤけはじめ(背景化)、やがて灰色になる
ことを示している。
つまり、脳が見るのをサボる。
私自身、固定した方が、より見えるような気がしたので、視覚が消失するという感覚がよく分からなかった。
ところがある時、
(マイクロサッカードは、家にいると安心して仕事が捗らない構図と似ていそう)
という感覚が立ち上がった。
自宅で仕事が捗らない構図とマイクロサッカードの比較
これらはいずれも、
入力が一定になりすぎて、脳がサボりはじめる
と、捉えることができる。
自宅
・心理的に安心感が強い環境(ズレが少ない)
・ノイズが少ない
・習慣化(考えなくても、体が先に動く状態)
マイクロサッカードの頻度低下
・一点に固定
・刺激が少ない
・脳が「変化なし」と判断する
どちらも”揺らぎ”の減少を、脳が「変化なし」と捉えた結果、働きが鈍ることに繋がっているように見える。
考えに詰まった時の気分転換はよく聞く話だ。
・窓を開ける(換気や環境音)
・音楽をかける(ジャンルを変える)
・作業する場所を変える
マイクロサッカードの役割を自宅での仕事に当てはめると、これらの刺激が強すぎない程度の環境変化を与えることは、脳のサボりを解消するという目的としては、やはりとても理にかなっているように感じる。
もう1つのマイクロサッカード的構図
先程は、「自宅」という環境にスポットを当てた話だったが、もう1つ似たような構図が同時に立ち上がってると感じた。
「やるぞ!!」
という一点集中が、逆に揺らぎを失う行為になりうる
という点だ。
これは先程の
環境的要因
ではなく、自身の、
内面的要因
になるのではないかと思う。
「やるぞ!!」と気合いを入れた場合
・目的に意識を集中させる
・思考のノイズを減らそうとする
・差分が生まれず、更新が止まる
という構図がみえてくる。
つまり、自宅で集中しようとすればするほど、環境面と内面の両側から”揺らぎ”を止めようとする力が働いてしまい、結果として
・作業が進まない
・文章に詰まる
・アイデアが湧かない
のような結果に繋がりやすくなってるのではないだろうか。
トロクスラー効果
ここで一つ、面白い錯視を置きたいと思う。
トロクスラー効果といわれるものだ。
検索すると画像や動画が簡単に見つかるため、気軽に体験することができる。
まず中心や印の一点を見つめ、極力目を固定する。
すると背景がボヤけ、やがて、もとの背景や色とは別のものが浮かんでくる。
最初に表示されている色を目で掴もうと凝視すると、その色が逃げていくような、なんとも不思議な感覚だ。
だがこのトロクスラー効果は、先程あげた
・自宅でアイデアが浮かばない
・考えようと思うほどいい案が浮かばない
これらと非常によく似た性質を持っているように感じる。
哲学との接続
ある意味これは、非常に哲学的な現象のようにも思える。
私の中で哲学とは、
「答えがあるものを学ぶ」
というよりは
「問いを生成し、循環し続ける」
ものではないかと感じている。
マイクロサッカードという現象が、世界を映し出すという点で大きな役割を担っているように、哲学もまた、考え続けることそのものに大事な意味があるのではないだろうか。
最後に
マイクロサッカードから、様々なものに接続できたが、これで終わりではない。
・全ての生物に、私たち人間と同じようなマイクロサッカードが起きるわけではないが、マイクロサッカード的役割の現象はほぼ例外なく起きている。
・プロスポーツ選手などは、このマイクロサッカードを利用し、極限状態に近づく
・トロクスラー効果と似たようなものは、嗅覚や触覚でも起こる
など、まだまだ面白そうなところに接続できそうだ。
機会があれば、この辺りも探ってみたいと思う。
※これは結論ではなく、観測ログです。
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